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甘肃省的日语详细介绍

2010-09-02 
 甘粛省内には,黄河、長江、内陸河の三大河川の流域,9つの水利体系があり,河川の総長距離は4000km余り,等級航道は1,305km,流れるのは黄河、◆河、白......

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甘粛 の 概 況

  地理の概況

  [位置]

  甘粛は中国の西北部に位置し,黄河の上流で,土地が広々とし,地形は細長く,まるで柄のようである。東西の長さは1,655km,幅は最も広いところは530kmに達し,最も狭いところはわずか25kmしかない。甘粛は,東は陜西,東北は寧夏と連なり,南は四川,西は青海、新彊と隣り合い,北は内モンゴル並びにモンゴル人民共和国と接し,省の総面積は45.4万k㎡である。

  [河川]

  甘粛は二つの大流区と,三つの大流域に分けられる。外流区と内流区があり,長江流域、黄河流域、内陸流域である。長江流域は主に甘南高原東部と隴南地区で,主な河川は白龍江で,水量が多く,水流が急で落差が大きく,季節の変化はあまりなく,秦嶺、淮河と同様,中国地理を南北に分ける分水嶺となっている。隴東黄土高原は黄河流域に属し,主な河川は黄河、淮河、涇河などの支流で,水量は季節により変化が著しく,砂の含有量が多く,凍結による災害も多く,流域内の土砂流出が深刻である。内陸河川の源は祁連山脈で,河西回廊を流れる主な河川には,石羊河、黒河、疏勒河、党河などがある。これらの河川には主に祁連山脈の雪融け水が注ぎ込み,季節性が強く,最終的には砂漠の中に消えてしまう。

  [地形]

  甘粛の地形は,複雑多様で,山地、高原、平野、河谷、砂漠、ゴビなどが互いに交差しながら分布している。地勢は西南から東北に傾斜し,最高海抜は5800m,最低海抜は550mである。基本的には各自特色のある六大地形区域に分けることができる。隴南山地は山が多く峰が重なり,山が高く谷が深く,生い茂った植物に覆われ,清流山渓が密集している。この一帯は渭水以南、臨潭、迭部以東の山地を含む秦嶺の西の部分で,面積は4.8万k㎡,山地と丘陵が顕著なことが特徴である。地勢は西高東低で,水は清く,渓流が急で鋭い峰や急な坂が多い。気候は温和で,江南の風景を成し,南方の“繊細さ”と北方の“豪快さ”を兼ね備え,甘粛の薬剤の集積地として,また珍しいパンダの棲む所でもある。

  隴中黄土高原は甘粛の東部にあり,東の甘粛省境界から西の烏鞘嶺に到り,面積は11.3万k㎡に達し,耕地は全省の70%を占める。黄河は青く茂る森林や名山や大平原を流れ,石油、石炭が豊富に埋蔵されている。水資源も豊富で,劉家峡、塩鍋峡、八盤峡などの大型水力発電所がある。

  甘南高原地帯は“世界の屋根”とも言われるチベット高原の東部の端にあり,地勢は高く,平均海抜は3000mを超え,典型的な高原区で,草原が広々とし,水草が豊かで,牛馬はよく肥え,有名な黄河第一の湾曲部があり,甘粛の主要な牧畜基地である。

  河西回廊は祁連山脈の北面にあり,北山以南で,東は烏鞘嶺から西の甘粛と新彊の境界までで,東から西へ,南から北へと傾斜する細長い地帯である。海抜は1000~1500mで,長さは1000km余り,幅は数km~100kmと言う,不均等であり,面積は11.1k㎡である。地勢は平坦で,オアシス農業に適し,日照も十分で,水資源も豊富と言う,典型的なゴビオアシス地区で,農業発展の将来性もあり,甘粛の主要な商品食糧基地である。

  祁連山地は,河西回廊の南側にあり,長さ1000kmあまりで,面積は7万㎡ほど,大部分が海抜3,500m以上である。万年雪と氷河は,河西回廊の天然の固体貯水池で,植物は垂直にはっきりと分布している。荒漠の草原があり,森林があり,氷雪があり,さまざまな景観がある。有名な七一氷河は祁連山中にある。

  河西回廊以北の地帯は,東西1000m,海抜1000~3600mで,北山山地或いは北山回廊とも呼ばれ,龍首山、合黎山、馬◆山から成っている。ここはタングリ砂漠、巴丹吉林砂漠に近く,風砂が強く,岩がむき出しで荒漠とし,耕作のできる所は全くない。

  [気候]

  甘粛は内陸の西北部で,海洋性湿潤気流はここまで届かず,大部分は降水量が少ない乾燥気候で,温帯大陸性季節風気候に属し,冬の寒く,春夏の境がはっきりせず,夏は気温が高くて短く,秋は急速に気温が下がる。年平均気温は,4~14℃,各地の海抜は異なり,気温の差がかなりあるが,日照時間は十分である。

  全省各地の年平均降雨量は300~860㎜で,東南から西北に向かってだんだん少なくなり,烏鞘嶺から西は降雨量が明らかに減少し,隴南山区と祁連山脈の東の部分の降雨量は多くなる。季節風の影響で,雨が集中するのは6~7月で,この時期に年間降水量の60~70%が降り,霜のない日は地域によってその差が著しい。隴南河谷地帯は一般に280日余りで,甘南高原が最も短く,140日しかない。

  [行政区画]

  甘粛には,蘭州、白銀、天水、金昌、嘉峪関、武威の6市と,定西、平涼、慶陽、張掖、酒泉の6地区,臨夏回族自治州、甘南チベット族自治州、の計14地区がある。また,87の市、県、自治県、市轄区があり,2000年末現在,全省の人口は2561.5万人である。

  少数民族

  甘粛は昔から多民族が居住する省だが,漢族が88%と最も多く,少数民族は12%である。44の少数民族があり,そのうち1000人以上の民族は,回族、チベット族、東郷族、裕固族、保安族、モンゴル族、サラ族,ハザク族、土族など10の民族で,そのうち東郷族、裕固族、保安族は甘粛特有の少数民族である。

  少数民族のうち,回族は主に臨夏回族自治州と張家川回族自治県に集中して住み,そのほか蘭州、平涼、定西などにも散在している。チベット族は主に甘南チベット族自治州と河西回廊の祁連山脈の東の部分と中ほどに集中し,東郷族、保安族、サラ族は主に臨夏回族自治区に居住し,裕固族、モンゴル族、ハザク族は主に河西回廊の祁連山脈山中や西の部分に分布している。長期にわたる歴史,社会の発展において,各民族はそれぞれの民族風情や習俗を形成した。特に婚姻、葬儀、祭り、飲食、住居、服装、礼儀,及び文化活動などの面では,特色ある風格を形成している。祭りとしては,チベット族の競馬大会や香浪祭り,ハザク族の◆羊,モンゴル族のナダム祭り,回族の爾徳祭り、クルバン祭り、そして花儿会などがある。

  回族の出現は唐?宋代に溯ることができる。“シルクロード”の開通後,イスラム教徒のアラビア人やイラン人が,シルクロードに沿って西北各地に移動して住みついたが,彼らは“蕃客”と呼ばれた。元代になり,モンゴル人が西征した時,多くのイスラム教徒のうち,アジアの各民族及びイラン人はモンゴル人に降伏した。彼らはモンゴル軍について中国に移り,各地に住んだ。その後,彼ら自身が“回回”と自称し,漢族、モンゴル族、ウイグル族、及びその他の民族と長期にわたって婚姻関係を結び,次第に新民族共同体の回族を形成した。

  チベット族は,唐代に形成された。西暦633年,第32代チベット王ソンツェンガンポが,邏些(現ラサ)に吐蕃王朝を建て,次第に勢力を伸ばし,甘粛にいた羌族各部、◆族各部は相次いで征服し,彼らの一部となった。吐蕃は政治、経済、軍事、法律制度を整備し,言語、文字、宗教を統一し,牧畜を主とする風俗習慣に改め,周辺の密接に関係した民族と長い歴史の中で融合されて誕生したのが現在のチベット族である。

  東郷族は,甘粛特有の少数民族で,臨夏の東郷に住むので東郷族と言う。臨夏内の◆河の西,大夏河の東,黄河以南,広通河以北の地域に集中している。東郷族の起源については,歴史文献にはない。目下,彼らの祖先は,ジンギスカンが西征した時,河州一帯にに留まったモンゴル軍の末裔ではないか,と考えられている。別の説では,回族が主体となり,漢族、モンゴル族が融合して生まれた民族とも言われる。

  裕固族は,甘粛特有の少数民族の一つで,唐代の鄂爾渾河流域にいた回鶻である。9世紀中葉,自然災害と戦争のため,その一部が甘粛沙州(敦煌)、甘州(張掖)、涼州(武威)一帯に移動したが,甘州に移動した部族が最も強く,10世紀初め,政権を打ち建て,河西の回鶻部族を統一した。11世紀半ばから16世紀までが裕固族形成の重要な時期で,歴代の中央王朝や周囲の兄弟民族と広範囲に接触し,モンゴル部族、チベット族、そして漢族などと融合して安定した民族共同体を形成し,裕固族となった。

  保安族も甘粛特有の少数民族のひとつで,源は青海省同仁県内,隆務河両岸の保安三庄に居住していた。清朝同治初年,当地のラマ教の隆務の農奴主の圧迫を受けたため,甘粛に移動し,今の積石山に居住した。現在は大◆、甘河灘、梅坡に住んでいるが,習慣上やはり保安三庄,保安人と呼ばれている。1952年3月25日,中華人民共和国国務院は正式に“保安族”と命名した。

  歴史文化

  甘粛と言う名は,かつての甘州(今の張掖),粛州(今の酒泉)の頭文字を取って名づけられた。秦朝の時,隴西に郡が設けられ,唐代には隴右道が置かれたが,省の大部分が隴山の西にあるので,隴西とか隴右とがで呼ばれ,略して甘或いは隴とも呼ばれる。甘粛省が設立されてからは700余年の歴史がある。北宋初期,西夏が河西を統治した時,甘粛軍司(甘州,今の張掖に駐留)を設けたが,これが最初に現れた甘粛の名前である。行政区画の名称としては,元代に初めて正式に甘粛省が設置された。

  甘粛は黄河中?上流域に位置する。古代は気候が温暖?湿潤だったため,農耕が比較的早く行われ,古代文化が発展し,中華民族の輝かしい文化発祥地の一つであった。遠く20万年前の旧石器時代に,中華民族の祖先はここで生き,繁栄していた。大地湾遺跡の発見は前史における,古代建築、文字の起源と人類の生活の研究に重要な資料を提供している。華夏民族が青銅器時代に入ると,隴東の周氏族は次第に力をつけ,関隴を支配し,精美な青銅器を作り出したことで世に知られている。武王が周王朝を建てた。諸侯に封じた時,周の孝王は秦の祖先を“属国”、“邑の秦”として,秦亭(今の張家川回族自治県南)に城を築き町を作った。その後,秦が封じられたのは九州の一つ擁州(天水一帯)である。秦?漢時代,関隴地区は,国家の政治、経済、軍事、文化の中心で,漢の武帝は強大な経済、軍事の実力をもって匈奴を破り,河西に四郡を置き,漢の領土とした。西漢王朝初期から,河西地区に対して大規模な経済開発を行い,移民政策を行い,長城を築き,辺境の防衛を強化した。大量の軍隊を駐屯させ,西域への道路を開いた。数十年の開発の後,経済と文化の促進を促し,辺境の地に豊富な食糧と豊かな放牧地を出現させた。漢代の辺境政策の成功と,張騫の西域行によって,シルクロードが開通し,これによって各国との通商が始まり,悠々としたラクダの鈴の音と共に,シルクが西へ運ばれ,天馬が東へ来,中国と外国の政治、経済、文化、商業交流が華やかに展開した。シルクロードの開通により,内外の商人の往来が激しくなると,河西四郡は交易の中心地となり,商品の集積地となった。漢末から隋の初めにかけて,中原は戦乱に明け暮れたが,河西地区は相次いで地方政権が建設されたとは言うものの,社会は総体的に安定し,経済や文化は依然として発展していた。隋の煬帝が西へ巡行して張掖に到り,西域各国の使節に謁見し,隋王朝の威厳を示した。大唐帝国の最盛期には,河西の武威、敦煌は経済?文化の非常に発展した国際貿易都市となり,特に敦煌は異民族の集まる大都市となり,楊州と同じように繁栄した。河隴地区も同様に上下の別なく繁栄し,史書にも“天下の富豪と言えども隴右には及ばない”と記されている。唐末,国政が衰えると吐蕃が侵入し,陸上のシルクロードは日増しに衰弱した。特に,明、清朝には海上の交通が次第に発達し,国の政治、経済の中心が東に移り,河西、隴地区は都から離れていたため,立ち遅れてしまった。

  新中国が成立すると,甘粛は国家の重点建設地区となり,50余年が経過した今日,石油化学工業、非鉄金属、電力、機械、冶金、建築材料、石炭、軽紡績、医薬、食品、電子工業などを主とした比較的完備された工業体系が形成されている。鉄道、航空、国道を主とした交通網も四方八方に延びている。農業条件の改善,特に河西が食糧生産基地となったため,全省の食料を自給自足できるようになった。

  観光交通

  全省の交通は,鉄道、国道、民航を主とし,交通網は四方八方へ延びている。蘭州鉄道局は西北地区最大の交通運輸企業で, 国営企業500余社のうちの第22位,運営距離は4000km,甘粛、青海、寧夏の三省に跨り,国家の経済収入の一部分を賄っている。国家の定めた西部経済の発展、東西交流の強化,対外開放促進と言う各種戦略において,蘭新鉄道の複線化、宝中線の建設、干武の電力化と言う重点項目を相次いで完成させた。中国大陸を横断し,アジアとヨーロッパ大陸をつなぐ新ユーラシア大陸橋もすでに完成し,西北道路網も日増しに改善され,蘭州とを結ぶ天蘭、新蘭、包蘭、蘭青、干武、宝中、青藏などの七大幹線の西北現代鉄道交通網が整備された。省内には,現在,蘭州中川、嘉峪関、敦煌、慶陽の4つの民間飛行場がある。

  甘粛は西北内陸にあるため,道路輸送は総合運輸体系において非常に重要な位置を占めている。全省の全道路距離数は3.5万kmに達し,そのうち2級以上の公道は2,670kmある。蘭州を中心とする道路網の主な公道は,西蘭公路、甘新公路、蘭定公路、蘭郎公路などで,各方面に延びている。蘭州道路の主要なターミナルは,全国の45主要ターミナルに数えられ,更に建設が急ピッチで進められている。全省の99%の市町村にまで道路が開通し,83.4%の行政村にはバスが通っている。

  甘粛省内には,黄河、長江、内陸河の三大河川の流域,9つの水利体系があり,河川の総長距離は4000km余り,等級航道は1,305km,流れるのは黄河、◆河、白龍江などで,蘭州航運駅、劉家峡旅遊会社など9つの水上運輸企業があり,各種船舶は1,340隻,11,463席がある。1999年から蘭州付近の黄河の38.4kmの航路を整備し,平涼◆◆山口、隴南碧口、劉家峡炳霊寺、甘南阿万倉など11の波止場を築いた。水上交通の発展は,甘粛観光事業の発展に大きく貢献し,観光をより便利にする交通手段である。

  観光事業

  甘粛は,独特の地区で,多くの観光資源に恵まれた省である。古代シルクロード全盛期の文物古跡が甚だ多く,人文の景観も豊富多彩で,それぞれ特色がある。省内には国家級風景や名所旧跡が4ヵ所,10,000点以上の文化財がある。そのうち,全国重点文化財保護単位は43ヵ所,省級文化財保護単位は425ヵ所である。館蔵文化財は40万点,国家一級文化財は1700点,国宝は3点ある。国家級自然保護区は4ヵ所,省級自然保護区は28ヵ所,省級以上の森林公園は46ヵ所,うち,国家級は9ヵ所もある。内外にその名を馳せている敦煌莫高窟は,今まで1600年の歴史があり,彩色塑像が生き生きとし,壁画の絢爛多彩さは世界の“芸術の宝庫”と称され,天水麦積山は優れた泥塑像のある仏教芸術の景勝地である。嘉峪関城楼の構造は,精巧で壮観で,“天下の雄関”と称されており,東晋壁画墓、魏晋墓画像磚は地下の画廊であり,武威雷台漢墓から出土した銅奔馬は,東漢時代の世界的に珍しいもので,中国旅行のシンボルマークとなっている。西夏碑は国家の文化財として,西夏王朝絶滅史の研究には欠かせない。夏河のラブリン寺は,全国チベット仏教グル派の六大寺院で,建築が雄大壮麗で光り輝き,張掖の大仏寺の涅槃仏は,世界で最も大きい涅槃仏とされている。甘粛にはオアシスがあるばかりでなく,雪山や氷河があり,黄土高原があり,草原もある。砂漠の奇観鳴砂山や月牙泉は,自然の神秘な傑作で,祁連山脈の“七一氷河”は,アジアでは町から一番近い氷河でもある。平涼の◆◆山は“天下の道教の第一の名山”であり,武都の万象洞は美しく,永登の吐魯溝は国家級森林公園で,理想的な避暑地である。武威地区の砂生植物園と砂漠公園は巴丹吉林砂漠の東南の縁,タングリ砂漠の端に位置する砂漠防止化を研究する代表的なところである。天水の観光景観国は温泉が多く,温泉に浸かってゆっくり休むこともでき,ますます観光客を引き付けている。

  甘粛省の観光事業は省都蘭州が中心で,すでに3本の観光コースがある。

  西コース:蘭州から西へ行き,武威、張掖、酒泉、嘉峪関、敦煌を結ぶ全長1148kmの行程で,沿線には,中国観光のシンボルである銅奔馬が出土した雷台漢墓,漢語と西夏語が対照して記されている珍本“辞典”の西夏碑,世界最大の張掖大仏と,室内最大の涅槃仏である山丹大仏寺、裕固族の風情と山丹軍馬牧場、馬蹄寺石窟群の観光区、酒泉の西漢勝利跡地酒泉公園、天下の雄関嘉峪関及び懸壁長城、世界の芸術の宝庫莫高窟、砂漠の奇観鳴砂山と月牙泉、楡林窟などのシルクロードの遺跡,そしてオアシスと氷河の雪峰。更に西へ進めば,トルファン、ウルムチなどへと通じている。

  東のコース:蘭州から東へは,天水、平涼を経て慶陽へ到る,祖先を尋ね,古き文化や古跡を見学し,黄土風情を楽しむと言う旅行コースである。“東方の彫塑芸術陳列館”天水麦積山石窟、伏羲廟、秦安大地湾遺跡、“天下の道教の第一の名山”平涼◆◆山、西王母が降臨した地王母宮、南石窟寺、慶陽の北石窟寺、窰洞民居と民間工芸美術,及び農耕文化などが見られる。

  南のコース:南のコースは,蘭州から臨夏へ,そこから夏河、合作ヘ行き,チベット族、回族の民族風情と宗教、芸術、草原を観光するものである。“小メッカ”と称される臨夏のイスラム風情やイスラム教大寺院である南関清真寺、紅園磚彫芸術、夏河のラブリン寺、貢唐宝塔、桑科草原,則岔石林、◆海自然保護区及び黄河第一の湾曲部の自然風景が観賞できる。さらに東へ行くと,隴南に達し,万象洞、成県陜西頌、鶏峰山、文県の天池がある。南へ行けば,四川の黄龍、九寨溝風景区に到る。

  三本の伝統的な観光コースが完備されると共に,甘粛では専門的な旅行コースを推し進めている。例えばシルクロード?ラリー、シルクロード?オートバイレース、シルクロード駅伝、シルクロード自転車観光、嘉峪関グライダー、熱気球観光、祁連山脈氷河探検ツアー、騎馬?徒歩での長城観光ツアー、黄河漂流観光ツアー、シルクロード石窟修学旅行、ゴビ探検ツアー、聖地参拝ツアー、狩りの旅、シルクロード全域旅行、シルクロード車で走破の旅、回族?チベット族民俗探検訪問、シルクロード専用豪家列車の旅など,専門的な旅行もある

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